※2018年8月10日刊行『新版 日本語語用論入門 ーコミュニケーション理論から見た日本語ー』より、一部抜粋でご紹介します。なお、本文中の注や章名等は割愛させていただきました。
日本語のオリジナルな用例を掲げた、理想の語用論入門テキスト。タスク・練習問題・ヒントで理解を深め、発話の目的を明らかにする。国語科の先生におすすめの一冊です。(1,600+税)
語用論の基礎
※本文(P7~P9)
イントロダクション・タスク
(A)の文はどのような意味ですか。また、実際の会話の中である人物が(A)を言ったとしたら、それはどのような意味であると考えられますか。
(A) 広志が圭子と駅で会っていたらしいんです。
まず、一つの問題を出した。さて、「どのような意味ですか」という質問はどのような意味だろうか(しゃれではない)。これが仮に英文であれば、日本文に翻訳したものが「意味」ということになろう。しかし、日本文の意味を日本文で説明するとなると、それぞれの単語を同じ意味を持つ別の単語で言い換えることになるのだろう。
(B) 広志という名の男性が、鉄道の列車に乗降する施設で、圭子という名の女性と対面している最中であったという伝聞情報を聞いたのです。
かえって長たらしく面倒な文になった。(B)は(A)の一つ一つの単語を辞書の語釈で置き換えたような文である。ただし、固有名詞は通常の辞書には記載されていないが、「広志」が男性の名(姓ではなく)で、「圭子」が女性の名であることは、日本語社会の通念として知られるところであるので、そのことを補った。
(A)は対人コミュニケーションの現場から切り離された、いわば言語の素材としての文である。さて、この文が実際の会話の中で用いられたとしても、(A)の意味である(B)が変化するわけではない。しかし、誰が誰にこの内容を伝えているのか、双方の前提となっている文脈、共有知識などの諸要素――これを発話状況(speech situations)と呼ぶ――によって、もっと豊かな意味
内容が伝達されることになる。例えば、ある発話状況においては(A)によって(C)の内容が伝達されているということがあり得る。なお、ここでは(B)のような各語彙の言い換えは省く。
(C) あなたの恋人である霜鳥広志が、最近仲が良いという噂の十文字圭子と、JR中央線八王子駅の駅前で会っていたらしいので、あなたは噂の真偽を確かめたほうがいいですよ。
(A)のように発話状況から切り離され、言語形式(音声・文字)のみによって構成される言語単位が文(sentence)である。
いっぽう、対人コミュニケーションにおける特定の発話状況の中で文を発することによって、特定的で具体的な意味を伝達するのが発話(utterance)である。文は発話の構成要素の一つである。
文の意味と発話の意味との違いをもって、意味を二つに分類する考え方もある。例えば英国の言語学者リーチ(G.Leech, 1936-2014)は、単語や文などの言語形式が有する意味を意義(sense)、発話の意味を効力(force)として区別している。以下、本書でもこの用語を採用する。
(A)は文である。これが特定の発話状況において発されたものが発話である。(B)は文の意義を形にしたもの、(C)は発話の効力を形にしたものである。
ここまでで既におわかりのように、発話の効力は文の意義を中核として包含してはいるが、効力の方が遙かに豊かな意味を伝達することができる。
語用論(pragmatics)とは、言語学の諸部門のなかで、発話の効力が発生するメカニズムを探究する部門である。
発話状況から切り離され、抽象化された文は、文字で記された書記言語によって示されることが多く、いっぽう発話状況の中で発される発話は、音声言語によって表現されることが多いが、文と発話の関係がそのまま文字と音声という二種の言語形式の関係とパラレルな関係であるわけではない。例えば、教室内でのパターン練習で発する文は「音声による文」であり、最近の若者が行う携帯メールの通信やインターネット上のチャットなどは、発話者の共有知識を活かした「文字による発話」ということになる。
(続きは本書でご覧ください。)