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教室からの報告『山月記』

教室からの報告『山月記』(1/全4回)

(神奈川県立翠嵐高等学校 榊原利英)※ 執筆者の勤務校は、執筆当時のものです。

国語嫌いの生徒を教える喜び(はじめに)

 何かというと原稿用紙を配って感想文を書かされる。感想なんか何もないのに、なんで書かなきゃいけないんだ。当ててほしくないと思ってるときに当てるんだから。「分かりません」って言ってるのに許してくれない。いろいろ言わせといて、結局は先生が答えを言って、もうチャイムが鳴ってるからやめてほしいのに、もっともらしいこと偉そうに言ってからやっと終わりになるんだよな。小学校のときは国語が好きだったのになあ。試験なんかもういいや。

 国語嫌いの生徒の代弁をしているようで、そのほとんどは、自分自身が持つ国語の時間のイメージである。しかし、国語の授業なんかとは関係なく、中島敦の情熱を思う。いつも教科書に載っている、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけた写真。漢籍を自由に読みこなしながら、高校生に読み継がれる小説を残してくれたというのは、彼が、自身で創ったはずの李徴という人物を心底哀れむ男だったからだろうか。孔子とその弟子たちを丁寧に描ききる彼の愛情を知ったなら、「弟子」を是非読んで見ろと、勧めないわけにはいかないということだ。生徒は好きと言ってくれなくても、私は、中島敦の語る李徴の物語が好きだ。テープなんかで聞くよりは、たどたどしい生徒の朗読がいい。

考えながら読む練習(教材のねらい)

 生徒は、読書はしなくても漫画は読む。漫画にはそれだけの魅力があるということだ。漫画を読んでいては勉強にならないと言っても、まして、学校に漫画を持ってくるなと言っても、何の解決にもならない。漫画を読まなくなるのは、漫画よりも面白いものに出会うからだろう。テレビと違って自分のペースで読み進められて、しかも、絵がイメージを自然に補ってくれる。このイメージこそが問題で、「あさきゆめみし」(大和和紀作の「源氏物語」の漫画化)の光源氏を見て、どうもこれでは困ると思ったとき、漫画を卒業できる。自分で読む「源氏物語」の主人公は、もちろん、自分がイメージする光源氏である。これほど自分にとって面白い「源氏物語」はないはずなのだ。自分の想像力で読み進め、自分なりの読み方が生まれてくる面白さを、生徒に体験させたい。

 テレビを見ながら食事をする。ならば、本を読みながら何かしてみたらいい。自分のイメージを絵にしながら読むというのは、それなりの才能を要する。考えながら読むというのが、もちろん練習次第だけれども、実は比較的容易でしかも有効な読み方なのだ。読書人になってしまう第一歩として、考えながら「山月記」を読む練習をさせるのが、この授業のねらいである。つっかえながらで、読むだけでも大変な生徒に、そんなことは無理かというと、みんな一緒に授業で読むことの便利な点は、読む生徒はそれに専念してもらって、他の生徒は一緒に字面を追いながら考えることが可能ということだ。しかも、読み手が間違えてくれれば、自然にその箇所に全員が注目し、その機をとらえての説明は、事項を羅列的に述べる説明と違って、何倍もの効果を期待できる。朗読のときから、クラス全員で読んでいるという雰囲気にしたい。もう一度一人で黙読するとき、今度は言われなくても考えながら読んでいるということになればよい。難しいことほど、それができれば面白くなるはずではないか。つまらないと思いこんで、できないとあきらめている生徒に、できることだけやらせているのでは、結局、やらせる方もやる方もつまらないということで終わってしまう。

(続く)

第二回、「授業展開を考える(指導計画案)」、「授業への準備」。

 

精選 文学国語

※『山月記』(中島敦)は、『精選 文学国語』に採録しています。
虚構作品の人物描写と、漢文訓読体を取り入れた格調高い文体を味わう小説教材です。

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