漱石枕流
本文(書き下し文):
孫子荊、年少き時、隠れんと欲す。王武子に語るに、当に石に枕し流れに漱がんとすとすべきに、誤って曰く、石に漱ぎ流れに枕せん、と。王曰く、流れは枕す可く、石は漱ぐ可きか、と。孫曰く、流れに枕する所以は、其の耳を洗わんと欲すればなり。石に漱ぐ所以は、其の歯を礪がんとすればなり、と。
読み:
そんしけい、としわかきとき、かくれんとほっす。おうぶしにかたるに、まさにいしにまくらしながれにすすがんとすとすべきに、あやまっていわく、いしにすすぎながれにまくらせん、と。おういわく、ながれはまくらすべく、いしはすすぐべきか、と。そんいわく、ながれにまくらするゆえんは、そのみみをあらわんとほっすればなり。いしにすすぐゆえんは、そのはをとがんとすればなり、と。
通釈:
孫子荊(孫楚)は若いころ、隠棲したいと思っていた。王武子(王済)に語って、「石に枕し流れに漱がん。」と言うべきところを、誤って「石に漱ぎ流れに枕せん。」と言ってしまった。王武子は言った。「流れに枕したり、石に漱いだりできるものだろうか。」孫子荊は言った。「流れに枕するのは耳を洗うためだ。石に漱ぐのは歯をみがくためだ。」
出典:
『新釈漢文大系 78 世説新語 下』982ページ
孫子荊は西晋の人、王武子はその友人と伝わる。この逸話を出典として、「漱石枕流」は、負け惜しみの強いこと、ひどいこじつけをすることをいう。この話は「孫楚漱石」として『蒙求』にも掲載されており、夏目漱石というペンネームもここに由来する。また、「流れで耳を洗う」とは、許由(伝説中の隠者)が帝堯から天下を譲ると言われ、耳が汚れたとして、川で耳を洗ったという伝説を踏まえている。