セイゴンの夜①「石炭をば早や積み果てつ。」
ようこそ、まなちゃん。
ご要望に応えて、これからおじいちゃんが『舞姫』の世界をゆっくりご案内します。なんせ話が130年も前の話です。タイムトンネルをくぐってかの時代に向かい、登場人物のみなさんにご面会し、「あのころ」「あのとき」のことをいろいろ聞いてみたいと思います。「あのころ」とは、19世紀の終わりごろ、明治20年を挟んだ数年間、「あのとき」とは、主には主人公のドイツ在住期間を指します。21世紀も20年経った今とは、社会の状況も人々の考え方もかなり違っているところも多々あります。それだけに、目を凝らせばいろんなものが見え、耳を澄ませば当時の人の心の「本音」も聞こえてきます。いっぱい見て、いっぱい聞いて、いっぱい勉強してください。
—— では、『舞姫』の世界に向かって、出発、進行!
森鷗外『舞姫』本文(第一段)
げに東に帰る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮き世の憂き節をも知りたり、人の心の頼み難きは言ふも更なり、我と我が心さへ変はりやすきをも悟り得たり。昨日の是は今日の非なる我が瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せん。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。 ああ、ブリンヂイシイの港を出でてより、はや二十日余りを経ぬ。世の常ならば生面の客にさへ交はりを結びて、旅の憂さを慰め合ふが航海の習ひなるに、微恙にことよせて房の内にのみ籠もりて、同行の人々にも物言ふことの少なきは、人知らぬ恨みに頭のみ悩ましたればなり。この恨みは初め一抹の雲のごとく我が心をかすめて、瑞西の山色をも見せず、伊太利の古蹟にも心をとどめさせず、中頃は世をいとひ、身をはかなみて、腸日ごとに九回すともいふべき惨痛を我に負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点の翳とのみなりたれど、文読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響きのごとく、限りなき懐旧の情を呼び起こして、幾度となく我が心を苦しむ。ああ、いかにしてかこの恨みを銷せん。もし外の恨みなりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すがすがしくもなりなん。これのみは余りに深く我が心に彫りつけられたれば、さはあらじと思へど、今宵は辺りに人もなし、房奴の来て電気線の鍵をひねるにはなほ程もあるべければ、いで、その概略を文につづりてみん。 |
「石炭」って?
「石炭をば早や積み果てつ。」句読点まで含めてわずか十二文字でサ、最後の「つ」が完了の助動詞だってことを知っていれば、意味だって、そうむずかしくもなかろうサ。「石炭を積んじゃった」って意味だぐらいはわかるよね。
ところが、一見簡単そうに見えて実はここは意味深なんですよ。問題の一つは「石炭」て言葉。もう一つは「早や」という言葉。まず「石炭」という言葉から解説しよう。
第一に「石炭」という熟語の訓(よ)み
「石炭」という言葉自体は古くからあったのだろうが、それをなんと呼んでいたかは俄には決め難い。
—— 何故かというと次のとおり。
ジェームス・カーチス・ヘブンという人、知ってるかな。そう、ヘボン式ローマ字を考案したヘボンさん。その「平文」さんが編纂した『和英語林集成』という辞書が幕末に刊行された。その辞書には「SEKITAN」という語項目はありません。ところが同じ「Coal」を意味する語項目が外にある。「ISHI—DZUMI」という項目です。ちなみに『舞姫』が発表されたころ刊行された辞書に『言海』『日本大辞林』『ことばの泉』などの国語辞典があります。大槻文彦が日本で最初に編纂した国語辞典『言海』は、まなちゃんもその実物を磐田の図書館で見せて貰ったことがあったよね。覚えてるかな。それらの辞書には ”せきたん”の語項目に ”いしずみ”という語意説明があるんだよ。 ということは、幕末から明治にかけてのころには、「Coal」を意味する日本語は ”せきたん”とも言っていたし ”いしずみ”とも呼ばれていたということになるでしょ。『舞姫』本文の「石炭」にルビがない以上、この二文字を ”せきたん”と訓む訓み方だけが正しい訓とは言い切れないということだよね。 なぜそのように漢字熟語の訓みにこだわるかというとね、文学鑑賞は、作者やその生きた時代に自分を同化させないと正しい文学理解ができないからなんだよ。つまり可能な限り作者の真意に迫らなければ、ただしい文学理解ができないからなんだよ。たとえば鷗外・漱石のように、明治という時代に生きた作家なら、鑑賞者も明治という時代を可能な限り意識しながら作品を読む必要がある。作者が用いた漢字なり熟語なりをどう訓むかは作品の正しい理解のための重要な方法なんだよ。 『舞姫』に先だって発表された坪内逍遙の『当世書生気質』には「時勢」「一個」という漢字が用いられている。それぞれ ”ころほひ” ”ひとり”とルビがある。二葉亭四迷の『浮雲』には「挙動」「余波」という漢字が用いられている。それぞれ ”ふるまひ” ”なごり”とルビされている。そのように現在われわれが通常訓む訓み方とは異なるルビが振られているということは、そこに作者のその言葉に対する考えなり思いなりがあるということでござろう。当然それは、作品世界のイメージ形成にも大きく影響するし、作品の正しい理解に直結するというわけだよ。 |
鷗外は「石炭」という漢字を何と訓ませるつもりだったのか。読者には ”せきたん”と訓んで欲しかったのか、 ”いしずみ”と訓んで欲しかったのか。
第二に「石炭」という物体または資源について
石炭という物体が何かのエネルギー源として使用されるものであることは、われわれはもはやほとんど無意識的に理解していると思う。しかしこの『舞姫』冒頭文の場合、この「石炭をば早や積み果てつ」からだけでは、石炭を何に積んだのか、この石炭は何のエネルギー源であるのか分からない。直後の「中等室」「舟に残れるは余一人のみなれば」、もう少し後の「旅の憂さを慰めあふが航海の習なるに」「房奴」などの語句を読んで漸く、この石炭は外国航路の客船の動力源としての石炭※図1であるということが明らかになるんだよね。
図1 『風俗画報 第239号』(明治34年発行)「石炭積載風景図」 |
その石炭。ぼくらはそれがどういう物体であるかを知ってるから、「石炭」なんて聞いたって何にも思わない。だけど、明治の、特に東京あたりの人たちもそうだったんだろうか。どうもおじいちゃんにはそうは思われないんだよ。たしかに北九州あたりの人たちは、江戸時代から石炭を生活エネルギーとして使っていたというから、その地方の人たちは石炭を知っていたと思う。
—— だけど、東京あたりの人たちはどうだったのか。
いまの「東京ドーム」のあるところは、江戸時代は「水戸黄門」さまのお屋敷だったって、知ってたかな。それが、明治になって、「砲兵工廠」になった。兵器の工場だよ。鷗外は明治5年にお父さんに連れられて故里津和野から上京した。その年、彼は水道橋駅の神田神保町寄りにあった、森家の親戚の西周の家にお世話になって、そこから、白山通りを挟んでドームと反対側にあった本郷壱岐坂の「進文学社」というドイツ語を教える塾に通ったんだよ。おそらく、砲兵工廠の煙突から出る物凄い煤煙を横目に見ながら歩いて通ったにちがいない。だから、鷗外には「石炭」というものがどういうものであるのか、実感として分かっていたと思いたい。 その「石炭」についてはね、岩倉使節団に随行して、のちにその記録を出版した、久米邦武という人の『特命全権大使 米欧回覧実記』という大部の本がある。おじいちゃんの書庫にもあるよ。鷗外も洋行する前にこの本を読んでいたんじゃないかな。その本のなかにね、石炭についての記述が出てくる。アメリカ大陸を横断したとき「石炭の町」を通った。そのとき久米は、鉄道とともにこの町が賑わっているというように書いてある。久米は「石炭なくして鉄道なし」ということをよく知っていたんだろうよ。 その石炭については、福沢諭吉も『西洋事情』のなかに書いている。この著作のなかで福沢は蒸気機関車の構造を説明し、湯を沸かして蒸気を作るそのエネルギー源が石炭であると書いた。 つまり、久米も福沢も、石炭が近代文明を根底から支えるいわば「必需品」であることをよく知っていたということだろう。のちに鷗外もドイツ留学中ライプチヒに着いたとき、この町が工場が多く、煤煙のために空も暗くなって、家々も黒ずんでいることに気づき、それを日記に書いた。ということは、鷗外も東京で、またドイツで、石炭という語が「近代文明」とほとんど同義であることを十二分に知っていたんだ。 だから、『舞姫』冒頭の「石炭をば早や積み果てつ」の「石炭」も、当然、同じように考えなければなるまいよ。 鷗外は、作品の冒頭でね、読者の皆さんに「近代」という概念を、あたかもバケツいっぱいの水をいきなり人の頭にぶっかけるように、投げ掛けた。そういうおじいちゃんの考えにもし疑問を抱く人があるとするなら、それは自分が「近代」という社会のなかに浸りきっているために、あるいは今はもう石炭というものを自分たちにとって重い意味を持った物体として特別視する必要がなくなってしまったために、冒頭の「石炭」という言葉の意味が時代の隔たりという磨りガラスの向こうにボヤけてしまったせいじゃないのかな。 |
「早や」って?
「早や」って、現代語に訳せば「早くも」とか「もう」とか「もはや」とかいう意味だよね。たとえば「彼はもう高校三年生だ」と言った場合、その「もう」には、その言葉を使っている人のある感慨が込められているでしょ。それは「彼は高校三年生だ」という場合と「彼はもう高校三年生だ」と言った場合とでは明らかに意味が違う。その「もう」には「この前高校生になったと思っていたら」とか「大人として認められてしかるべき」とかいう意味あいが含まれているでしょ。つまり過去向きの意味と未来向きの意味とのいずれかの意味合いが。
同じように「石炭をば積み果てつ」と言った場合と「石炭をば早や積み果てつ」と言った場合とでは意味がかなり違う。「早や」がある場合は、言外に「明日は出航だ」という言葉があるわけだ。
—— 初めて『舞姫』を読む人にはちょっと分からんかもしれないが、まなちゃんはもう何度も読んでるから言うね。
ヨーロッパから日本に向かう客船の中で、しかもその全行程の半分以上経過した地点のサイゴン港で、「明日はいよいよ出航だ」ということになれば、船客の意識は未来、つまり横浜上陸に向くのが普通じゃない? 鷗外は船が横浜港についた時、鷗外を「出迎え」に来てくれた人たちがいた。弟の篤次郎は入港の前日から旅館に泊まっていたし、お父さんと末弟の潤三郎は当日横浜港の旅館で迎えた。親戚の西周も出迎えた。 でも、主人公のたった一人の家族であるお母さんはもう亡くなってる。お母さんの死をベルリンの豊太郎に知らせてくれた親戚の人は豊太郎を出迎えるだろうか。免職処分に遭った不名誉な男なんていくら一族といったって、出迎えに出掛けるはずないよね。おそらく主人公を出向かえてくれる人はだれもいない。しかもその主人公は、自分の裏切りによって狂女になった女性をベルリンに残してきた。そういうとき、豊太郎の意識は、日本に向くか、ベルリンに向くか。 |
おじいちゃんは、豊太郎の意識は後ろ、つまりベルリンに向いてると思う。つまりさ、この「早や」は、主人公豊太郎の、悔恨の気持ちを含んだ副詞と考えたいが、どうかな。
※なお、文中、引用の『舞姫』本文は、原則として、大正4年12月23日、千章館発行の『塵泥』(国文学研究資料館発行の復刻本『塵泥』)による。
⇒「セイゴンの夜②「客船内部の様子」」へ続く