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なぜ古典を学ぶのか-教科書編者からのメッセージ

 古典を学ぶことにどういう意味があるのか。それを考える上で、張龍妹さんという中国人の日本文学研究者の言葉がとても参考になると思うので、ご紹介したい。それは、張さんが『源氏物語の救済』の著書で、関根賞という日本の学術賞を受賞した時のスピーチの言葉である。自分は社会主義国家で成長し、社会のために有用な人材にならなければという信念をもって大学を卒業し、会社勤めをしていた。その後思うところあって大学院で学び直すことを決意し、日本の古典文学を勉強し始めた。人の心を、深くかつ繊細に表現する『源氏物語』のような作品にこそ、論理に走りがちな中国人は学ぶ必要があると思ったからである、と言われたのである。張さんは、いま中国における日本文学研究を中心となって支えている方である。  

 外国人に日本の古典を誉められて嬉しかった、と言いたいのではない。私はそのように言う張さんに、かえって中国人の深い知性を感じる。自分の国に自信がなければ、なかなかこうは言えないだろう。その自信は、中国文化の長い伝統によって培われたにちがいない。だからこそ、日本の文学への鋭い観察力も生まれたのだろう。日本と中国の文化の特質を理解し、自分のものとしているのである。 

 日本人は、昔から漢詩・漢文によって、多大の知恵を得てきた。それは日本人の教養の基盤を形成している。そしてその基盤の上に、日本人らしい固有の心を花開かせてきた。張龍妹さんの研究は、中国と日本の文化の融合を、高い水準で目の当たりに見せてくれているといえるだろう。  

 唐突だが、子供と大人とはどこで区別されるか考えてみよう。色々な見方があるだろうが、私は、情理をわきまえることができるかどうかがその分かれ目だ、と思う。子供はしばしば感情のままに動く。また一方、大人顔負けの理屈を言うこともある。しかし、情と理をあわせもつ子供はまずいない。情理を尽くすといえば、感情と理性の両面に訴えかけることで、相手に心から納得してもらうことだ。こういうことができる人を、私たちは大人だなあ、と感じる。そして日本の古典の特徴の一つは、この情理をわきまえることを理想とするところにある、と言えるだろう。こまやかな感情をもっとも大切にしながら、たんなる理屈ではない、生きるための論理として鍛え上げられた文章なのである。張龍妹さんの言う通り、「心」をなにより大事にしているわけである。  

 明治書院の教科書は、そうした情理を尽くした古典の文章を最大限に重視している。それらの文章は、遠い昔から、日本人の心を養い続けてきた。そうして現代の私たちの心の基本にもなっている。古典を学ぶこととは、情理を兼ね備えた文章を理解し、味わうことで、大人への階段を昇ることだといってよいだろう。大人とは、古典がしっかりと理解できる人間だ、とさえいえるのかもしれない。

(東京大学教授 渡部泰明)

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著者略歴

  1. 渡部 泰明

    国文学研究資料館館長。明治書院教科書編集委員。

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