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現代社会を生きるための古典(渡部泰明)

渡部泰明(東京大学教授)

 仲の良い友人同士だったら、コミュニケーションのための言葉は最小限で足ります。しかし年齢や生活環境が違うなど、距離のある間柄であったら、そうはいきません。まして相手が複数だったり、あるいは不特定多数であったりすれば、コミュニケーションは格段に難しくなります。意味が分かればよいのではなく、深く理解し合いたいと思ったら、困難さは倍加します。

 遠い距離のある人間相互に、強くて深い理解をもたらす。古典は、古来そういう威力を発揮してきました。我が国の文化の中で培われた共通の知恵であり、皆の価値観の源泉だったからです。日本だけのことはありません。世界の人たちは日本人以上に古典を大切にしています。彼らは、自分たちの古典を大事にするからこそ、異なった文化の古典も尊重するのです。古典は異文化理解の礎でもあります。

 古典はただ古いだけの文章ではありません。多くの人々に支持され、受け継がれてきたものです。後世に遺そうという意志を持って、現代まで伝えられてきたものです。支持され、伝えられてきたのも、それぞれの時代の価値のよりどころとなってきたからでした。

 価値観の源泉となるほど古典が時代時代の人たちを惹きつけてきたのは、どうしてでしょう。それは、日本の古典が情理を兼ね備えた言葉であることと関わります。

 どの作品でもかまいません、明治書院の国語の教科書で取り上げた古典の文章を読んでみてください。人の情緒や情念にふかぶかと入り込んでいることが多いでしょう。けれど感情に流されてはいません。社会や人間に対するしっかりとした観察・省察に基づいている部分が必ずある。あるいは、物事を客観的に描写したり論理を構築したりする古典も少なくない。でもそこに、人の心の機微をこまやかに汲み取る筆遣いを、きっと見いだすことができるでしょう。社会も思想も歴史も、それを背負い動かす人間を通して考えようとしているからです。論理的骨格のしっかりした中国の古典を、漢文という形で日本文化に取り入れ、十分に消化してきた長い歴史も、それにあずかっているでしょう。

 感情や情熱だけでは、なかなか確かなことは言えない。理屈や論理だけでは人の心の深いところに届かない。情理を兼備することで、人は心から納得することができます。情理を尽くした言葉だからこそ、長い年月にわたって共感を得てこられたのです。そして、自分の考え方や感じ方を、他者に確信をもって伝える言葉を獲得してきたのです。

 明治書院の教科書では、古典の言葉が人々の間でどう活用されてきたか、そして私たちは古典の持っている潜在能力をどう発揮させればよいのか、ということを重視しています。現代社会を生きるための古典。私たちの目指すところはそこにあります。

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著者略歴

  1. 渡部 泰明

    国文学研究資料館館長。明治書院教科書編集委員。

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