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教室からの報告『コインは円形である』

教室からの報告『コインは円形である』(2/全4回)

(明治大学付属中野中学・高等学校教諭 岸 洋輔)

国語の授業で、どう教えるのか

 「正しく想像すること」を学習目標とした国語の授業とは、どのようなものか。端的に言えば、生徒の活発な意見を引き出し、その意見によって組み立てられた授業のことである。教師の読みが、いかに的確で深いものであっても、それを伝達するだけの授業では、この学習目標は達成できない。国語の授業は静かに教科書を読み、教師の話を聴き、板書事項を書き写すだけの時間ではなく、作業をし発言をする、体(口や手)を動かす時間である、と生徒に思わせたい。敢えて極論すれば、たとえ教師側の読み取りが浅くとも、生徒の読みが深まるような授業のできる教師は立派である、と私は考える。無論、生徒の読みの深まりを正しく評価できるには、教師がそれだけ深く読み込んでいなくてはならないから、このようなことは実際にはあり得ないのであるが。

 では、このような授業を成立させるには、どうすればよいのか。一つはクラスの雰囲気であり、一つは発問の工夫である。後者は、教材の下調べ・下読みに関わってくる。前者については、一つの教材に限っての話題ではないので、ここで詳しく述べるべきではないが、「生徒の学習意欲を喚起する」授業というテーマと深くかかわることなので、簡単に触れておく。

 生徒が活発に発言する雰囲気を作り上げる方法には、どんなものがあるか。私の過去の実績例を挙げると、授業態度の点数化である。これは即効性がある。安易な方法のようだが、細かな配慮が要求される。同じ点数化でも、私は減点法ではなく、加点法を用いた。寝たり雑談したら減点だ、ではなく、音読したり発言したら加点する、という方法である。これも表現の仕方である。良いところだけを見て、それを点数化しよう、と言った方が生徒のやる気もプラスの方向を向く。満点から削られるより、零点から積み重ねる方が積極的になる。結果は同じでも、気分が違う。この授業態度の加点を記録して、学期末の総合点の中に一定の上限を設けて加点する。ここでも配慮する。せっかく手を上げても指名されない生徒がいる。また、入院などで長期欠席をしてしまう生徒もいる。この生徒たちのやる気も失わせたくない。それで、救済処置としてレポートを提出させる。教材に関して好きなテーマで、作文を書くというものだ。無論、提出は任意。書いてきたレポートを評価して、平常の点数として同じように加点する。こうすれば、やる気のある生徒に、もれなく上限まで点数を与えられる。結果的に、寝ている生徒や授業に集中できない生徒には、点数がないことになる。そのため、私は毎時間所謂「閻魔帳」なるものを持参し、授業態度を記号化して記録する。これも慣れてしまえば、そんなに面倒なことはない。指名しなければならないので、生徒の名前を覚えるのも早くなる。ただ、名前を覚えていない年度初めは手間取る。そのときは、座席表をコピーしてそこに直接書き込んでおき、後で書き写す。この方法で大切なことは、徹底することである。毎時間の記録をきちんととり、間違いなく点数化してあげることだ。

 しかし、今はこの方法を用いていない。即効性のある薬には副作用が伴うように、生徒間に点数至上的な功利的な考え方が蔓延するからだ。また、こちらとしても点数でつらないと、生徒が発言しないようでは、物寂しい気分になる。そうでなくても、レポートの内容は素晴らしいのに、授業では手を上げない生徒もいる。こちらから指名すれば、きっときちんと答えてくれるはずだ、と思うのだが、そうもいかない。点数にこだわらずに活発に発言する雰囲気を作れぬものか。即効性はなくとも、持続性のある漢方薬のような方法が。

 奇を衒うような方法は、その場はよいが長続きしない。要は、国語の学習の目的と方法を明確につかませ、新学年当初の新鮮な気持ちを持続させることである。これは、どんなジャンルの教材であっても同じである。では、そのやる気をなくすきっかけは何なのか。失敗の多い私には、そちらの方が考えやすいし、参考になるだろう。そこで、生徒のやる気をなくすきっかけを、箇条書きで上げてみる。

1.生徒の発言を最後まで聞かず、途中で口を挟む。
→生徒の意見を尊重し、必ずそれに対して答えてあげる。

2.発言者に対する中傷を、見過ごす。
→発言を聞いている生徒の態度に気を配り、発言しやすいようにする。

3.いろいろな作業を並行して行わせる。
→質問を投げかけたら、全員それに集中させ、他のことをしない。

4.少し騒がしくなるとすぐに怒ってしまう。
→関心が授業内容に向いていれば、多少騒がしくなってもよい。

5.こちらの考えている「正解」に誘導する。
→生徒に、自然と気付かせる質問ができると、理想的ではある。

6.「分かりません」と言われると、すぐに怒る。
→隣の者と相談させてもよい。時間をとってあげてもよい。

 このことを踏まえた授業とは、どのようなものか。私は、一時間の授業を二つに分けて行う。前半は、教材の音読に始まり、質疑応答の時間。後半は、それをまとめる時間。前半は、こちらの用意した質問に答えさせたり、生徒に質問させたりする。活発に発言させることが重要であるから、多少騒がしくなっても構わない。ノートに書き写させるような板書もせず、質問に答えることに集中させる。後半は、出てきた意見のまとめを板書し、説明を加える。生徒には、板書事項や説明した内容をノートに書き写させ、それをもとに学習の手引きや問題集を解答させたりする。その際は、私語を慎ませ、静かに話を聴いたり、黙って問題を解く態度を身に付けるよう、指導する。これが、私の考える、そして実践している「正しく想像する」力を養う、国語の授業である。

 こうした授業をするには、どんな下調べ・下読みが必要になるのか。生徒の活発な発言を引き出すことのできる発問を用意すること、これがポイントになる。そして、その発問をどう組み立てるかによって、授業の流れを作り上げ、イメージをつかむことができる。その授業展開のイメージをつかむことが、私にとっての下調べ・下読みとなる。その組み立て方は教材によって異なる。一般論としてはこの説明だけで十分であろう。それよりは各論を具体的に述べた方が分かりやすいし、有意義である。そこで、次に「コインは円形である」という教材を、どのように扱ったのか、その実践例を示すことにする。(続く)

 

新 高等学校 国語総合

※『コインは円形である』(佐藤信夫)は、『新 高等学校 国語総合』に採録しています。
ものの見方、認識について考える。相互理解のためにこそ、レトリック感覚が必要であると説く評論教材です。

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