【著者インタビュー】「憲法への招待」著者:渋谷秀樹先生(3/全5回)
昨年の動画配信で大好評だった、「憲法への招待」※の著者・渋谷秀樹先生のロングインタビューの内容を全5回の連載にまとめました。
※『精選 論理国語』(明治書院)の採録教材
第1回「高校の先生や高校生に伝えたいこと」
第2回「法学における《解釈》の限界と可能性」
第3回「国語科に期待されること」
第4回「法律の現在とこれから」
第5回「法学部進学指導について」
第3回「国語科に期待されること」
ーー前回、表現という言葉が出ましたが、国語科として言語能力を高める責任が大きいように思います。国語科の先生方に期待されることは何かありますでしょうか。
そうですね。憲法ではコミュニケーション能力ということ自体は扱いませんが、たとえば、相手の名誉を傷つけるような名誉棄損的な表現とか、嘘の表示によって商品を売ることはコマ―シャルスピーチという若干難しい言葉で表現する問題になりますが、それはやっぱりいけないとされています。つまりどんな表現でも保障されるわけではありません。
ヘイトスピーチの問題は、皆さんご存知でしょうが、個人を傷つけるような表現は、それ自体が犯罪となりますが、個人を特定しない、一定の集団を対象とする表現をどのように考えるかが問題となっています。前回の表現の定義の中でも言いましたが、相手方に自分の真意がきちんと伝わるような言語能力は、高校生までに是非培ってほしいと思います。
視点を変えると、ある言葉を使うとしても、自分と相手を置き換えてみて、自分がそれを言われたらどう思うのか、と考えた上で、言葉を使うことが大事だと思います。日本でも最近はディベートの教育をしているようですね。ディスカッションの訓練を積み重ねて、経験によって言ってはいけないこととか、相手への伝わり方とかを訓練することが大事だと思います。
その際には自分の話す言葉、使う言葉、言葉が持つ意味を知っていることが前提となります。一番わかりやすいのは、言われたくない言葉は使わない。それがディベート教育においても基本だし、日常生活においても基本だと思います。相手の立場に立って言葉を考えることが、やはり大事です。
憲法の話に戻りますが、憲法の人権規定の中で、一番の基本は「すべて国民は、個人として尊重される。」という憲法第一三条にある規定です。個人として尊重される、という表現も抽象的ですね。そもそも「個人」とは何か、「尊重される」とは何か、難しいですね。このうち「尊重」はリスペクトです。つまり自分の考え方と相手の考え方が違う場合でも、その人を排除するんじゃなくて、そういう考え方もあるよね、とリスペクトする。あるいは、暴力は振るわないとか、そういうことも全部入っている。
個人への尊重をもって接する、話をする。そういう心構えで話そうとすると、自分の言いたいことが相手にも伝わるし、自分も相手から同じように接してもらうことができる、と理解することが大事だと思います。
私は、コミュニケーション論の専門家ではないので詳しいことはお話しできませんが、憲法の中もそういう言葉、文章があるということを、ここではお伝えしておきたいと思います。