『精選 現代の国語』単元8「対話する社会へ」解説
(東京大学 藤田佑)
【解説】 暉峻淑子著「対話する社会へ」
『対話する社会へ』は、岩波書店から刊行された同題の新書(2017)の、「まえがき」ほぼ全文に相当する。教科書本文でも触れられているとおり、暉峻は旧西ドイツで経済学者として教鞭を振るい、自ら主宰した「国際市民ネットワーク」では、ユーゴスラビア難民の支援や国際ボランティアに従事してきた。
ただし、本書で言及される「対話」のエピソードは、学校の教室・会社・労働組合・まちづくりをめぐる行政対住民のやりとり等、我々にも身近な実例がほとんどである。暉峻は本文で「人間と人間の間をつなぎ交流させ、個人を成長・発達させる場であった対話は、民主主義の培養土でもあった」と述べている。日常生活内で「対話」を実践することが、ひいては国際平和に繋がるというのが、「民族紛争という言葉で片づけられない現実」を直に目の当たりにしてきた筆者の、力強い確信である。
教科書本文からは、大きく次の二点を考えてみたい。第一は、国際問題への想像力である。平易で穏やかな文体とは裏腹に、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話です」という印象的なフレーズは、読み手の平和理解を厳しく問う、挑発的な一節でもある。湾岸戦争が「テレビゲームのよう」と評されたのは1991年のことだが、ネットやSNSが普及し、所謂グローバル化が格段に進んだ現在でも、戦争を他人事のように捉える日本人の「お任せ主義」は、あまり変わってないように思われる。「民族紛争という言葉で片づけられない現実」という本文の文言は、容易な言葉で現実を画一化してしまうこと―他者への想像力の不足―に対する、筆者の危惧が感じられる。
第二は、「対話」を支える言葉の質についてである。国語教育の現場でディベートやプレゼンテーションが奨励される昨今、生徒が他者に向けて自発的な言葉を発する機会も、以前より格段に増しつつある。ただし筆者は、勝敗を決め、意図的な結論を導くための議論の言葉、相手の主張と折衷するような妥協の言葉を否定し、他者との相互的・創造的な言葉の往還を「対話」と定義している。ディベートが身近になりつつある現在であるからこそ、技術的な言葉の運用に陥らないための自覚が必要である。言葉は決して無色透明ではなく、発する人間の主観から切り離されることもあり得ない。自らが発する言葉の恣意性を十分に自覚することが、他者への想像力を養うことに繋がるだろう。
その他にも、本文には「対話」の歴史性に関する言及が散りばめられている。「人間の言葉の始まりは対話であり、市民の言葉は対話である。」という一節は、ソクラテスやプラトンを想定しているだろうし、「記述式の言葉が、明治期に標準化されてきた。」という箇所からは、明治の言文一致体運動、文語体と口語体の歴史的変遷に発展することもできる。幼児の言語への言及から、発達心理言語学に横断してみることも可能だろう。
教材おすすめポイント
「対話」そのものに言及した経済学者の文章。現代の国際社会における対話の必要性について考え、目的に応じた結論の出し方を学びます。