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授業実践<古典>

授業づくりのヒント『大鏡』での実践を例に(4/全4回)

6・7時間目

 最終的に、以下の4点について発表してもらうことを予告する。

(1)花山天皇は、どんな君主か? 道長や道兼と、どのような付き合いをしていたのだろうか?
(2)『肝試し』からは想像も付かないような道兼の豹変ぶりについて説明する。人は本当にここまで豹変できるものなのだろうか?
(3)兼家はどんな人物なのか?
(4)花山天皇はなぜ、道兼の陰謀を見抜けなかったのか?

 グループ内での話し合いはかなり白熱したが、筆者が全く想定していない驚くような意見が出ることはなかった。「誘導」が強すぎたのかもしれない、とも考えている。今後の課題としたい。

(1)について


 愚鈍な君主である、という意見は皆無であった。

 道長については、その能力を高く評価する一方で、心からの親友、という存在ではなかった、という意見が多かった。そして、花山天皇の親友はむしろ、能力的には大きく劣っている道兼であったに違いない、と続けていた。

 道兼は確かにヘタレである。しかしながら、ヘタレである分だけ、他者のことを思いやる優しい心遣いに優れていたのではないか、という想定通りの意見も出てきた。年齢的には道兼の方が上であるが、花山天皇は道兼の一番の理解者であり、庇護者であったのだ、との意見もあった。

(2)について


 道兼は、ヘタレだけでは済まない、愚鈍な男なのだというのが全員の意見であった。確固たる「自己」を持っていないために、父親の意見に逆らうこともできず、最終的には、一番の親友であるべき花山天皇を、最悪な形で裏切ってしまった、と考えている生徒が多数であった。

 道兼は愚鈍であるからこそ、兼家の教唆によりここまで極悪人になることができた。『肝試し』から『花山天皇の退位』にかけて、道兼は全く変化していない、というところまで踏み込む生徒もいた。

(3)について


 「ひどい人」「恐ろしい人」という意見は全員から出てきた。道兼の愚鈍ぶりを十二分に理解した上で、そんな息子の愚鈍さをも、自己の権勢獲得の手段として利用しているところが最大の「恐ろしさ」である、と感じていた。周囲から見捨てられても仕方がないようなダメ息子を大切に思ってくれている花山天皇を、平気で陥れるやり方があまりにひどい、と憤っている生徒もいた。

 「もしさることやし給ふ」については様々な意見が出た。「どこまで周到な悪党なのだろう」「愚鈍とは言えやはり息子はかわいいものなのだ」「兼家にとっては、愚鈍な道兼も非常に重宝な道具で、もしかすると兼家は既に、そんな重宝な道具の次の使い道を考えているのかもしれない」などである。

(4)について


 いよいよこの授業の締めくくりである。

ア 愚鈍ではあるが心優しい道兼が、陰謀を画策するなど、夢想だにできなかった。
イ 周囲の誰もがそうであるように、花山天皇も心のどこかで道兼のことを馬鹿にして見くびっていた。
ウ 花山天皇は、道兼の背後にある兼家の陰に気付くことができなかった。
エ 花山天皇は、育ちが良いので、他人を疑うことを知らなかった。

など、様々な意見が出た。

 そして最大の収穫は、これら様々な意見についての疑義が、生徒の中から自然な形で出てきたことである。例えば、

イについて ← 馬鹿にしているような相手と一緒に出家しようなどという気持ちになるものだろうか。
ウについて ← 兼家の存在に気付かないはずがない。花山天皇はむしろ、「道兼は兼家や道長とはちがうのだ」と強く確信していたに違いない。
エについて ← 花山天皇は『肝試し』で、翌朝、道長の言葉が本当かどうか確認させている。つまり、花山天皇は人を疑うことを知らかったわけではないはずだ。

などである。

まとめ

 非常に楽しい授業であったと感じている。グループワークの時間に机間巡視をする筆者に質問をする生徒も多く、賑やかな授業に終始できたところが一番の収穫である。特筆すべきは、「現代語訳をゴールとしない」ことで却って、「正しく訳したい」という生徒の意欲が高まっている、と実感できた点である。例えば、第一回の①「渡し奉り給ひてければ」の「て」が助動詞であることの見落としを指摘された生徒の悔しがりようは、今も目に浮かぶほどのものであった。楽しい授業の場を提供すれば、生徒は自然に意欲的な取り組みをするようになる、との確信を改めてもつことができた。

 もちろん、反省点もある。第一は—既に述べたところであるが一グループ内での話し合いに参加して、という形で行った筆者の「誘導」が強すぎた、と思われる点である。生徒との会話が弾むのが楽しくて、多くを語りすぎてしまったに違いない。予めの想定から大きく外れた読みを引き出すことができなかったのが残念である。次回の実践では、もっと自由な読解ができる環境を整えて、更に多彩な道兼像・花山天皇像・兼家像があることを示せるようにしていきたいところである。(了)

※本論文は、平成29年11月に開催された一般財団法人東京私立中学高等学校協会文系教科研究会(国語)「授業実践報告会」でのご講演をもとに、再構成したものです。


国語の窓3号

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著者略歴

  1. 益川 敦

    頌栄女子学院中学校・高等学校教諭。
     学習院大学大学院人文科学研究科国文学専攻博士前期課程修了。専攻は平安女流日記文学(特に『蜻蛉日記』)。
     大学院の2年目から豊島区の私立川村学園に専任として、11年間勤務した後、港区の私立頌栄女子学院に移籍して現在に至る。古典学習の初学者に古典の楽しさを伝えることをライフワークと考えている。
     学習院高等科在籍時に、高橋新太郎・日笠祐二両先生から勧められ、松尾聡先生の著述と出会ったのをきっかけに《解釈文法》に関心を持つようになり、古典研究を志す。大学・大学院では、大野晋先生の教えを受けながら、吉岡曠先生・木村正中先生との出会いを通して、細やかな訓詁注釈に立脚した文学研究の大切さを知り、更に、檜谷昭彦先生(当時、慶應義塾大学教授)・高橋正治先生(当時、清泉女子大学教授)に師事して新しい文学研究の方法を学び、現在まで研究を続けている。
     著述に『平安文学研究 生成』(2005年 笠間書院)収録の、「蜻蛉日記論 ~兼家の居場所~」がある。
     2001年からは母校学習院大学で、教育実習事前講義の臨時講師を務める。また近年では、歌舞伎鑑賞の事前指導に力を入れていることが評価され、2010年以来、国立劇場のホームページで事前指導の様子が紹介されている。
     20年来の趣味である釣りは、スポーツニッポンでしばしば紹介されるほどの腕前。

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