ビジョンが 無いことが、 ビジョン:益川 敦先生にインタビュー
まず肯定
他者の考えのよさを感じたり、自分の考えのよさを認識したり—中学校次期学習指導要領解説の中にある右の一節を大切にしています。正解は一つとは限りません。授業では第一に、「生徒の発言を否定しない」ことを心がけています。誰もが胸を張って自分の考えを発表できる空間をつくるためです。
もう一つ、生徒に積極的な発言をさせるためのコツがあります。「生徒の直感的な発言の根拠を問わないこと」です。直感的なことこそ面白い。しかし、直感的なことの根拠を問われると、たいていは困ってしまうものです。まずは肯定して、「こうだから、そう思ったのかな?」と、こちらから理由付けをしてしまいます。そうすると、その理由付けに対する意見を言うようになります。熟考を促すために敢えて根拠を「聞かない」。矛盾しているようですが、そうすることでかえって、自分から語るようになるのです。
高等学校次期学習指導要領について
「言語文化」の中に示された「古典を進んで学習する意欲や態度を養う」ことから始めて、「古典探究」の中にあるように、「古典の作品や文章を多面的・多角的な視点から評価」できるようになったらいいなぁ、と思っています。楽しく読むことによって何かをつかんでほしい—その「何か」にはもちろん、唯一絶対の正解などありません。どんな手段で何を読み取ったっていい、とさえ考えています。
私は高校一年生のときに竹取物語を読んで、「竹取の翁はどれほどの金を手にしたのだろう」と思いました。そこで、「千人の兵士が乗って剣を手に闘うためには敷地を囲う塀の全長は三千メートル…」などと考えて、東京郊外の地価公示価格や金相場を根拠として、試算しました。何と楽しいこと。いろいろな楽しみ方があると思います。これもまた、深い学びであるはずです。
藤原道兼はヘタレか、冷血漢か
以前、『花山天皇の退位資料②』を講義形式で授業したときの生徒の感想は大同小異「道兼の陰謀に簡単に騙されてしまう花山天皇はあまりにも鈍い」でした。東宮が後の一条天皇であったことを思えば、花山天皇と道兼の利害対立は明らか(略系図を参照)です。にもかかわらず、道兼の「御弟子にて候はむ(仏弟子としてお側近くにお仕えしましょう)」の言葉を信じてしまう花山天皇は確かに鈍いと言わざるを得ません。しかしながら、『花山天皇の退位』から、冷酷を極めた道兼と愚鈍な花山天皇を読み取るだけでいいのでしょうか。
そこで思い立ったのが、『花山天皇の退位』と同じく、『大鏡』所収の『肝試し資料①』を関連させて読むことでした(実践報告『大鏡』第一回へ)。
同じ土俵に居続けない
私の授業をたくさんの先生にご覧いただきたいと思っています。いつおいで下さってもかまいません。様々なご意見を賜りながらブラッシュアップしていきたいと強く願っていますので。私の授業をモデルとして下さる先生がいらっしゃれば最高に光栄です。ただ、モデルにして下さる頃、私は既に別の土俵に立っていると思います。私にはビジョンが無いんです。ビジョンというものに縛られないことで、常に挑戦を続けることができる、こんな言い訳をし続けています。
(聞き手:(株)明治書院 三樹蘭)
次回、「古典の深い学びを求めて ~『大鏡』での実践を例に~」
※この連載は、『国語の窓3号』に掲載しています。ご請求は下記ボタンをクリックし、リンク先のWEBフォームに必要事項をご入力ください。また、郵送先は高校になりますので、勤務先の高校様名を必ずご入力ください。