高等学校国語 選択科目の意味と意義──社会人としての国語の資質・能力の育成──(大滝一登)
雑誌『日本語学』2023年3月春号より特集記事の一部を紹介します!
–第1回–
高等学校国語 選択科目の意味と意義
──社会人としての国語の資質・能力の育成──
大滝一登(文部科学省初等中等教育局視学官)
|
1 ここ数年の高校国語の動きを振り返って
令和4年4月から新学習指導要領に基づく教育課程(以下、「新教育課程」という。)が学年進行によってスタートして1 年が経とうとしている。
この1年間、私たちが日々暮らしているこの社会(実社会)は明らかに変化の度を増したように感じられる。新型コロナウイルスの脅威もいまだ消えておらず、ウイルスとの「共生」への模索が続いている。加えて、ウクライナ侵攻やそれに伴うエネルギーや食糧を筆頭とした物価の高騰など、枚挙に暇がないほどである。世界の価値観が分断の度を増し、例えば我が国を取り巻く軍事的な脅威がさまざまなニュースで一層取り上げられるようになったことなども象徴的であり、何か時代の大きな転換期のようなムードを感じさせる。
こうした状況にあって、教育に対する社会の考え方もますます多様になってきているように感じられる。例えば、少子化を前提にしたとき、学校教育の役割は一層重要となると考える立場もあれば、オンラインやAI技術の発展に伴って、学校教育の実態や体質を旧態依然としたものと捉え、学校の在り方自体を急速に変革すべきと主張する立場(極端に「学校は不要」と主張する論者さえ現れ始めている。)もある。
いずれにしてもまず押さえておきたいのは、時代の急速な変化に伴って、学校教育に対する要求がより切実なものになりつつあるということである。そして、高等学校国語科という点に焦点を絞るならば、これまでも繰り返し述べてきたように、高校国語の授業はそもそも何のために行われているのか、生徒が社会に出てよりよく生きるために本当に効果的に行われているのかといった点がより注目される状況にあるということがいえよう。
高校国語だけでなく、国語科の在り方自体が問われている状況にあるといってよいだろう。府川源一郎も、「問い直される「国語科」」として、以下…
(続きは、「日本語学 2023年 3月号 春号」をご購入ください。)