アカデミックスキルズの基礎—高大接続の観点から—(第3回「書くことのベースライン(アカデミックスキルズ)」)
2023年3月31日に開催した、「明治書院オンライン研修会」の内容を、全7回の連載にまとめました。
第1回「自己紹介」
第2回「問題意識をもった切っ掛け」
第3回「書くことのベースライン(アカデミックスキルズ)」
第4回「書き方をどのように教えるか—1つの案—」
第5回「対話の必要性」
第6回「まとめ(対話から創造へ)」
第7回「質疑応答」
第3回 書くことのベースライン(アカデミックスキルズ)
ここからアカデミック・スキルズのお話をしていこうと思います。これは書くことのベースラインですね。むしろ知的作業のベースラインがどんなものかということです。
まず、アカデミック・スキルズがどのように大学に配置されているかと言いますと、たいてい「教養・専門縦置き分断型」です。一年生、あるいは二年生の途中ぐらいまで、教養・語学や、初年時教育として論文の書き方と読み方を教える。その後は専門課程オンリーです。一方、この教養・語学・アカデミックスキルズが、一年生だけではなくて4年生まで伸びている形が「教養・専門有機結合型」です。
このアカデミック・スキルズがどんなものかと言いますと、ルネサンス以降における中等・高等教育の基礎である、教養(リベラルアーツ)の自由七科から出てくるものと考えています。いわゆる文法、修辞学、弁証法。この三学(trivium)ですね。ルネサンス以降の教育では、三学は言語活動の基礎的なスキルとされています。あとの算術、幾何、天文学、音楽は、神を理解する学問ということで、こちらは「スキル」に対して「コンテンツ」の教育なわけですけども、三学の後に習得していくというふうに位置づけられています。
こちらはアカデミックスキルズの構造を示したものです。高校までに学習した語学の運用力、あるいは基礎知識、応用知識を土台として、「専門分野」、「ライティング」、そして「プレゼンテーション」のスキルが三つの柱としてあります。「専門分野」というのは、情報を蓄積したり整理したりするスキルです。「プレゼンテーション」は、情報を発信するスキル。「ライティング」は、情報を受け渡すスキルです。「ライティング」スキルをサポートするのが対話スキルだったり、ピアレビューであったりリーディングであったりするわけです。プレゼンテーションのスキルをサポートするものがこれもほぼ同じですけど、対話、ピアレビュー、あとはライティングのスキルだ、というふうに考えられ、この三つの柱のスキルが非常に高い学生さん、あるいは社会人は、どんな時でもリーダーシップを発揮してイノベーションや社会実装へ貢献できる、と考えられています。
大学では、学問の創造的プロセスを一通り経験しているというふうに、私は考えております。まず課題を設定。ゼミや卒業研究が多いですが、最近は、授業でもこういったことを行います。いわゆるプロブレムベストラーニングです。課題を設定し探求・検証プロセスを考え実行し、その結果をレポートや卒業論文にまとめて、最終的にプレゼンテーションする。このプロセスで絶対に必要になってくるものが、アカデミックスキルなんですけども、そのなかでもとくに対話とライティングが必要ですね。
対話というのは、昔から学問の世界で大切にされてきた一つのツールです。もちろんライティングも、単に書きとめたり、言葉にするというだけではなく、思考を深めて、新たな着想を得るための手助けになってるということを認識する必要があると思います。
大学の4年間で学ぶことは「読み・書き・そろばん」と私はよく言っています。「読み」というのは古典を読むということ。「書き」は、学生同士で対話しながらピアレビューを通してライティングスキルをつけるということ。「そろばん」は、最近データサイエンスというものがよく言われますけども、データや文献に基づいて主張を展開したり、批判的な思考をしたりする。つまりこれが専門教育かと思います。大学四年間のけっこう長い時間を、アカデミックスキルズの体得にかけているのです。これまで、あまりここが強調されてこなかったと思います。
これはブルームのタキソノミー(掲示:「Bloom’s Taxonomy」Benjamin Bloom 1956)ですが、低次元から高次元の知的活動までをピラミッド型で示したものです。低次元の知的活動では、書き方のルールを記憶したり理解する、対話のルールを記憶したり理解する、などが挙げられます。そして高次元に進むと、これを応用して、文章を作成したり、あるいはグループで対話したり、実践的なところですね。次に、ピアレビューをして相手のことを評価する。これは文章を作成するよりも、ピアレビューの方が難しい作業になりますので、英語でevaluate、つまりバリューにするということですね。最終的には文章を完成させたり、プレゼンテーションをすることで、外部に発信していくということです。このような流れをアカデミックスキルズを使って可能にしているわけです。もちろんそこにプラスして、専門分野があるということになります。
さて、話は少し変わって、「論理」と「抽象」の関係についてお話ししたいと思います。例えば文章表現だと、小説、あるいは古文、漢文などがあると思いますが、これを「抽象的」と表します。その対極に、つまり「論理的」にあたるものとして、哲学や評論などがあるんだと思うのですが、これのベースになるのが「言語」ですね。では数学、物理で考えると、先ほどの「言語」に相当するのが「数式」です。ここで「抽象的」とは、目の前に無いことを理解するものということを意味しています。さらに芸術にも少し拡張してみると、例えば「遠近法」とか「楽譜」みたいなものは基礎的なもので、これを知らないと絵を書いたり、音楽を奏でたり作曲したりと言うことは絶対できない。そして論理的になると、設計図であったり古典的な音楽になる。抽象的になると、抽象画だったり現代音楽といったことになろうかと思います。
こうやって見ると、「言語」も「数式」も「遠近法」「楽譜」も全部ごく基本的な道具なんですね。これはもう絶対覚えなければ、どっち側にも振れないものなんです。「数式」を知らなければ、論理的にも考えられない。抽象的にもいけない。「言語」を知らなければ、哲学的な思考もできなければ、小説を書くことも読むこともできません。そして、これはちょっとびっくりするんですけども、理工系の学生さんは「言語」を極めて数式的だ、というふうに言います。「数学って文系?理系?」と聞くと、結構多くの学生さんが「文系」と答えます。さらに、言語は極めて数式的だから好き、という学生さんも結構おります。特にフランス語とかロシア語は言語体系がはっきりしているので数式的で楽しい、という理由で学んでいたりします。語学の好きな理工系の学生さんは多いですね。あるいは、天才科学者には音楽好きが多いとも聞きます。実は共通項ではないかというふうに思っております。言語を大切にしていただきたいなというふうに思っているところです。
それでは、少し書き方のお話にうつります。文章の種類は二つあると思っていて、「行間を読む文章」と「行間を読まない文章」です。行間を読んで想像を広げたい文章というと小説ではないかと思うのですが、一方で、行間を読まない、あるいは読んではいけない文章というものがあります。最も行間を読んではいけない文章というと法律じゃないかと思うんですけども、今日はこちらの「論理的な文章」を主に扱います。書き方をどのように指導しているのかという、一つの案としてお話をします。
第4回「書き方をどのように教えるか—1つの案—」