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おじいちゃん先生が語る『舞姫』講座

セイゴンの夜⑥「ニル・アドミラリイ」

—— さて、次に行こう。


 こたびは途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし冊子もまだ白紙のままなるは、独逸にて物学びせし間に、一種のニル、アドミラリイの気象をや養ひ得たりけん、あらず、これには別に故あり。

 げに東に帰る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮き世の優き節をも知りたり、人の心の頼み難きは言ふも更なり、我と我が心さへ変はりやすきをも悟り得たり。昨日の是は今日の非なる我が瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せん。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。


 サイゴン港に碇泊中の船室に一人、夜を過ごしている豊太郎の「行李」[こうり=籐などで編んだ旅行用トランク] の中には、ノートが入っていた。それは一冊だったか数冊だったか分からない。そのノートは洋行の際買ったものだった。洋行日記・留学日記を書くつもりだったと書いてあんべ。けど、そのノートは未使用状態のままになっていた。このParagraphは、その理由を述べたそれでござる。

 その理由を述べるとき、豊太郎は文章表現上のテクニックを使った。それは、「疑問の係助詞+…連体形、あらず、これには別に故あり」という構文である。もちろん「疑問の係助詞+…連体形」の部分は係り結びの形になっている。けれどもここはそういう文法的なことがらよりも、その係り結びの部分が、つまり、ノートが白紙である理由の自問の部分が、下の「あらず、これには別に故あり」を引き出すための誘導部分になっていることに注意する必要があるっぺよ。

 本文ではその自問が二つ用意されている。一つはドイツ留学中養われた「ニル・アドミラリ」の気象が、留学生活の記録を放棄した理由なのか、という自問である。二つめは、社会のなかで生きる苦痛や人間心理の変わりやすさを悟ったことが留学生活の記録を放棄した理由なのか、という自問である。

 

「ニル・アドミラリイ」って、哲学用語の用語のようだけど、ほんとはどういう意味?


 その第一の自問文中にある「ニル・アドミラリイ」という言葉。たいていの注釈書とか教科書の注は、「無関心」「無感動」「何ものにも動じない精神や態度」といったような注になってるよ。もともとラテン語(Nil Admirari)でね、紀元前のローマの詩人ホラティウスの『書簡集』に出てくる言葉だそうだ。鷗外という人はラテン語も理解できてた。すごいぜ。鷗外の語学力のすごさには、かの斎藤茂吉先生もすっかり舌を巻いて脱帽したんだぜ。

 おじいちゃんがこの言葉を知ったのは、大学生のときだった。友達と話していたとき、彼がなにかの話の中でこの言葉を口にしたんだよ。むろんその語義など分かるはずはなかったが、そのときはそれを質[ただ]すこともしなかった。その語義を知ったのは、それからしばらく後のことだったが、ほんとの意味を知ったのは、もっとずっと後のことだった。ただこの言葉、あのとき以来なぜか心にひっかかって忘れられない言葉だった。つまり「ニル・アドミラリイ」という言葉は、おじいちゃんの「青春」の言葉だったというワケよ。

 その言葉を日本の近代文学で最初に使ったのはだれであるかおじいちゃんも知らん。もしかしたら鷗外の『舞姫』のここが最初かもしれん。当時の辞書に「ノート」も「ホテル」も載ってない時代のことだから(『当世書生気質』には「書籍”ブツク”」「時計”ウオツチ”」「鉛筆”ペンシル”」などのルビがある)。が、鷗外と並んで日本の近代文学の両巨頭といわれている夏目漱石もこの語を使ってるところが面白い。『舞姫』より二十年も後のことだが、明治42年発表の『それから』(二の五)に「20世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既にnil”ニル” admirari”アドミラリ”の域に達して仕舞つた。」とある。

 作品の主人公豊太郎は、この「ニル、アドミラリイ」という哲学用語の、自分にとっての意味を、どこで、どのように知ったのか。それについては本文に「独逸にて物学びせし間に」知ったと説明されている。ということは、逆に言えば、豊太郎は、洋行以前にはそういう思想を知らなかったということだべ。つまり、明治の前半ごろには、まだそういう思想は日本ではポピュラーではなかったということだ。

—— そもそもこの「Nil Admirari」なる思想とはどういう思想なのか。

 「Nil Admirari」という語を「無関心」「無感動」と訳せば、それは人間の精神状態や人間の態度のように思うかもしれん。しかし、この語は本来そういう意味ではないようだぜ。つまり、人間が自分の幸福を追求するについて、そういう「無関心」「無感動」な精神状態になる、あるいはそういう態度をとることが、幸福への最短距離だ、という意味のようだよ。ということはサ、豊太郎も、自分の周囲の状況や自分の置かれた立場とは距離を置いて、どのような状況にも冷静沈着に、冷淡に対処する生き方を身につけた、ということであろう。

 そのことを裏側から言うとどういうことになるか。豊太郎という人間は、少なくとも洋行以前は、そういう生き方をしてこなかったということではないのか。つまり彼は、物事に対していちいち心を動かし、物事に対していちいちビクビクしていた、そういう人間だった、ということになるのではないか。もっというなら、彼は自分がエリートであるというプライドの塊かたまり”であったが故に、そのプライドに傷がつくことを極度に恐れる人間だったということではないのか。そういう人間がそのプライドというものをどのように制御していくか。エリート人間にありがちな自尊心、自負心という「猛獣」をどう自分の内部に飼い慣らすか。それはそういう人間にとってすこぶる困難な課題のように思うが、まなちゃんはどう思うかな。

 豊太郎はドイツ留学中、必死でその問題解決の方法、猛獣の飼い慣らし方を考えたんだろうよ。そしてその解決の方法として、紀元前の昔からある「ニル、アドミラリイ」という思想に行き当たったんだと思う。自分の置かれた境遇や状況や立場や、そういったものにいちいち心を動かさずに、外界とは一線を画して、どのような状況にも動ぜず、驚かず、感動せず、冷淡に生きることが幸福への最短距離だ、ということに気がついたんだよ。

 ついでに言えば、そういう、人間の処世術については、『舞姫』の作者鷗外自身がその問題について、大いに悩んだ(と思う)。それは、鷗外自身の留学時代だけの問題じゃなくて、終生にわたる鷗外自身の処世上の大きな問題意識であった、ということではないのかな。


 ともかく、豊太郎はドイツ留学中、この「ニル、アドミラリイ」の気象を養い身につけた。それが留学記録とでもいうべき「日記」を書かなかったこととどう結びつくのかは、いまいち不明瞭、説明不足であることは否めない。しかしともあれ豊太郎の洋行以前と以後との極めて大きな人間的変化に気づく、この語が重要な役割をしていることはまちがいないところだと思うよ。

 

 

留学してからの豊太郎って、すごい変わっちゃったよね

 


 そうさね。豊太郎が五年間の留学生活をへて、人間的に大きな変化を遂げたことは「げに東に帰る今の我は、西に航せし昔の我ならず」によって理解できよう。具体的には一つは「浮き世の憂き節をも知」ったこと。自分以外の他者や社会に対する見方や認識の仕方が変わったということ。二つには、「人の心の頼み難きは言ふも更なり」。つまり、他人なんて何を考え何を思ってるのか分からん、ということでござろう。

 ということはさ、豊太郎という人間は、洋行以前はまるっきりの世間知らずで苦労知らずのボンボンだったってワケぞなもし。そりゃそうよ。ご幼少のみぎりから「神童」だなんて言われ、就職すればしたで仕事一筋のクソ真面目、上司から「愛(う)いヤツじゃ」なんて頭を撫でられチヤホヤされていい気になってたんだから。そういう、絵に描いたような堅物人間が、留学仲間から「付き合い悪いじゃんか」、「エラそうじゃんか」なんて陰湿なイジメにあった。参ったんだよ、ほとほと、豊太郎は。

 でも豊太郎が理解したことはそれだけじゃない。自分自身の心さえ無常なものだということを知ったというんだよ。こともあろうに二十歳も過ぎてさ。いくらなんでもこれじゃ遅過ぎだぜ、ホント。前にまなちゃんが読んだ小林秀雄先生の「無常といふ事」にもあったじゃん。「生きてゐる人間などといふものは、どうも仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひ出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解つた例しがあつたのか。鑑賞にも観察にも堪へない。其処に行くと死んでしまつた人間といふものは大したものだ」って。

 そういうさ、人間なんて自分自身のことだって分かっちゃいない、「人間不可解」ってことがなんにも分かっちゃいないから、どエライしくじりをやらかす。エリスと同棲するようになって、やっと、自分自身の心が分かるような男だから、あんなに自分を愛してくれたエリスをも裏切ることになる。

 

 だけど、そのことが、「日記」を書かなかった理由じゃない、理由は他にあります、って豊太郎は言う。それが「あらず、これには別に故あり」って、これからその理由を述べます、という構成になってるワケ。

—— ついでに「学問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、」について二つ補足しておこう。

 一つは、ここが、「こそ…已然形、…。」になっていること。『土佐日記』の「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」と同じ構文。係り結びの逆接用法だったよね。

 もう一つは、この「学問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、」は、作品前半末尾部分の「我学問は荒みぬ」というリフレーンに直結していることに注意すること。


※文中、引用の『舞姫』本文は、明治書院『新 精選 現代文B』による。


セイゴンの夜⑦「ブリンヂイシイの港を出でてより」へ続く。

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著者略歴

  1. 杉本 完治

    1944年静岡県磐田市生まれ。静岡県の公立高校で38年間教鞭をとる。定年退職後は講師として活躍。
    【主な著書】
    『キミが明日の主人公だ』(日本教育新聞社出版局、1987)
    『身体の不調は肝臓を疑え』(講談社、1988)
    『鷗外歴史小説 よこ道うら道おもて道』(文芸社、2002)
    『漢文文型 訓読の語法』共著(新典社、2012)
    『森鷗外 永遠の問いかけ』(新典社、2012)
    『森鷗外『舞姫』本文と索引』(新典社、2015)など

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