ICTの活用で国語科教育をどう変えるか──言語文化「読むこと〈近代以降〉」の新しい授業づくりと評価──(野中潤)
雑誌『日本語学』2022年3月春号より特集記事の一部を紹介します!
ICTの活用で国語科教育をどう変えるか
──言語文化「読むこと〈近代以降〉」の新しい授業づくりと評価──
野中潤(都留文科大学教授)
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1 学習指導要領の改訂と学び方改革
[1]言語文化の教科書
新しい学習指導要領に基づく高等学校国語科の新科目「言語文化」や「現代の国語」の教科書が、いよいよ使用開始となる。しかしながら、大幅に科目編成が改変された割に、新しい事態が出来するという印象は受けない。既視感、安心感を与えてくれる教科書が多いという印象だ。
とりわけ言語文化の教科書には、「羅生門」に象徴される「国語総合」時代の定番教材が採録されていて、おなじみの顔ぶれがずらりと並んでいる。それなりに経験を積んだ教員であれば、目次を見ただけで、1 年間の授業の見通しが立つと言っても過言ではない。「実用的な文章」が中心になると言われていた「現代の国語」に「羅生門」「夢十夜」「鏡」「城の崎にて」などの小説教材を収録するという挑戦的な編集をする教科書が出現して耳目を集めるという出来事はあったが、「古い酒を新しい革袋に盛る」とでも言うべき教科書づくりによって劇的に採択数が伸びたという出来事は、「例年通り」を求める現場教員の心理を如実に示していると言えるだろう。採択率を上げてより多くの生徒たちに読んでもらうためには、教科書選びの主体である教員の安心安全を担保する必要がある。授業時数の計算ができ、授業進行の勘所がわかっていて、生徒の反応が想定できる定番教材の利便性を手放したくないという気持ちもよくわかる。板書計画も発問もプリント教材も、場合によっては定期試験ですら、「例年通り」で授業を「こなせる」わけである。多忙をきわめる教員の現状を考えれば、知らない教材がずらりと並んでいて授業準備のために多くの時間を費やさなければならない教科書を歓迎できないのは当然のことだろう。
教科書を編集する側の都合を考えても、新しい科目ができたからと言って、そうそう簡単にドラスティックな改変はできないし、時代の激変に伴う現場…
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