夫れ文心とは、文を為るの用心を言うなり。…
本文(書き下し文):
夫れ文心とは、文を為るの用心を言うなり。昔、涓子の琴心、王孫の巧心は、心や美なるかな。故に之を用う。古来文章は、雕縟を以て体を成す。豈騶奭の群言の雕龍なるに取らんや。
読み:
それぶんしんとは、ぶんをつくるのようじんをいうなり。むかし、けんしのきんしん、おうそんのこうしんは、こころやびなるかな。ゆえにこれをもちう。こらいぶんしょうは、ちょうじょくをもってたいをなす。あにすうせきのぐんげんのちょうりゅうなるにとらんや。
通釈:
「文心」とは、精神を文学の創作活動に向けるという意味である。昔、涓子はその著書に「琴心」と名づけ、王孫子はその著書に「巧心」と名づけた。「心」とは、なんと美しい言葉であろう! いま文学を論じた本書に、この「心」という字を用いたのは、このためである。古来、文字というものは、雕刻のように美しく飾って表現するものである。だから、「雕龍」という名前は、文章の美を以て雕龍奭と評判された騶奭の故事から取ったわけではない。
出典:
『新釈漢文大系 65 文心雕龍 下』672ページ
最終巻の序志篇冒頭の一節。書名の由来について述べている。「涓子」は斉の人。老子から九仙の法を受けたと言われる。「王孫」は姓。名ほかについては未詳。「騶奭」は斉の人。騶衍の文を修めたと言う。