俗好んで遠を褒め古を称し、瑞を講ずれば則ち上世を美と為し、…
本文(書き下し文):
俗好んで遠を褒め古を称し、瑞を講ずれば則ち上世を美と為し、治を論ずれば則ち古王を賢と為し、奇を今に睹るも、終に信に然りとせず。堯舜をして更正せしむとも、恐らくは聖名無からん。
読み:
ぞくこのんでえんをほめこをしょうし、ずいをこうずればすなわちじょうせいをびとなし、ちをろんずればすなわちこおうをけんとなし、きをいまにみるも、ついにしんにしかりとせず。ぎょうしゅんをしてこうせいせしむとも、おそらくせいめいなからん。
通釈:
世俗のひとは好んで遠い昔を誉め称えるもので、めでたいしるしの話になると、大昔を立派だとし、よく治まった時代をあげつらうと、昔の君主を賢者だといい、珍しい事を今の世にみても、結局信用しようとしない。だから堯舜のような聖天子を今の世に生きかえらせても、聖という名はつかないだろう。
出典:
『新釈漢文大系 69 論衡 中』1239ページ
尚古主義への攻撃的な言辞であり、古(いにしえ)を尊ぶ儒教的立場とは相容れない。このような主張があるために、『論衡』は、宋代以降、孔子・孟子を批判した書とされた。しかし、その百科全書的な広がりは、『呂氏春秋』『淮南子』に並ぶものである。