太史公曰く、法令は民を導く所以なり。…
本文(書き下し文):
太史公曰く、法令は民を導く所以なり。刑罰は姦を禁ずる所以なり。文武そなわらざれども、良民懼然として身修まるは、官未だ曽て乱れざればなり。職を奉じて理に循う、亦た以て治を為すべし。何ぞ必ずしも威厳のみならんや。
読み:
たいしこういわく、ほうれいはたみをみちびくゆえんなり。けいばつはかんをきんずるゆえんなり。ぶんぶそなわらざれども、りょうみんくぜんとしてみおさまるは、かんいまだかつてみだれざればなり。しょくをほうじてりにしたがう、またもってちをなすべし。なんぞかならずしもいげんのみならんや。
通釈:
太史公は言う、法令は人々を導くために用いるものであり、刑罰は邪悪を禁じるために用いるものである。法令と刑罰とがまだ完備していない時に、善良な人々が恐れ謹んで進んでわが身を修められたのは、官職についていた者がまたでたらめをしなかったからである。役人が職務に精励し原則に基づいて物事を行えば、それによっても天下を治めることが可能で、どうして厳しい法令や苛酷な刑罰を用いなければならないということがあろうか。
出典:
『新釈漢文大系 92 史記 十二(列伝 五)』463ページ
「循吏列伝」の冒頭の一節。「循吏」とは、法令を遵守する役人。司馬遷は、春秋時代の孫叔敖・子産・公儀休・石奢・李離の5人を取り上げている。時代に偏りがあり、また、李離以外は宰相にまでなっており、役人で終わったわけではない。この5人を循吏としたことには、司馬遷のどのような意図があったのだろうか。