臣聞く、朋党の説は、古自り之れ有り、と。…
本文(書き下し文):
臣聞く、朋党の説は、古自り之れ有り、と。惟、人君の其の君子と小人を弁ぜんことを幸ふのみ。大凡、君子と君子とは、道を同じくするを以て朋を為し、小人と小人とは、利を同じくするを以て朋を為す。此れ自然の理なり。
読み:
しんきく、ほうとうのせつは、いにしえよりこれあり、と。ただ、じんくんのそのくんしとしょうじんをべんぜんことをねがうのみ。おおよそ、くんしとくんしとは、みちをおなじくするをもってほうをなし、しょうじんとしょうじんとは、りをおなじくするをもってほうをなす。これしぜんのりなり。
通釈:
私が聞き及びますところでは、朋党についての考えは、昔からあったということであります。ただ私といたしましては、君主が、その朋党が君子によって組織されているか、小人によって組織されているかを見分けていただきたいと念願するばかりであります。総じて君子と君子とは、信ずる道が同じであることによって仲間を作り、小人と小人とは、求める利益が同じであることによって仲間を作ります。これは当然の道筋であります。
出典:
『新釈漢文大系 72 唐宋八代家文読本 三』124ページ
欧陽修が宋の仁宗に奏上した「朋党論」の冒頭。保守派と改革派の政争に明け暮れる政界にあって、欧陽修は范仲淹らの改革派を擁護するために、この論を書き、天子に派閥を認めさせようとしたが、陥れられ、左遷されることになる。