自ら信ずる者は、誹誉を以て遷す可からざるなり。…
本文(書き下し文):
自ら信ずる者は、誹誉を以て遷す可からざるなり。足るを知る者は、勢利を以て誘う可からざるなり。故に性の情に通ずる者は、性の以て為す無き所を務めず。命の情に通ずる者は、命の奈何ともする無き所を憂えず。道に通ずる者は、物、其の和を滑すに足る莫し。
読み:
みずからしんずるものは、ひよをもってうつすべからざるなり。たるをしるものは、せいりをもってさそうべからざるなり。ゆえにせいのじょうにつうずるもの、せいのもってなすなきところをつとめず。めいのじょうにつうずるものは、めいのいかんともするなきところをうれえず。みちにつうずるものは、もの、そのわをみたすにたるはなし。
通釈:
自ら信ずる者は、毀誉褒貶によって動揺させることができない。足るを知る者は、権勢利欲によって誘惑できない。それゆえ性の真情に通じている者は、(持ち前の性に従って行動し、)性が拒否するような事柄を務めない。命の本質に通じている者は、(定められた命に随順し、)命として、どうにもならぬ事柄を務めない。道に通じている者には、外物もその調和をみだすことができない。
出典:
『新釈漢文大系 55 淮南子 中』767ページ
「淮南子」詮言訓の一節。「詮言」とは、人事や治乱について説く意。儒家的なもの、道家的なもの、様々なものが感じられる。