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今日の漢文

凡そ百三十篇、五十二万六千五百字。太史公書と為す。…

本文(書き下し文):
凡そ百三十篇、五十二万六千五百字。太史公書と為す。序略して以て遺を拾い蓺を補い、一家の言を成す。厥れ六経の異伝を協せ、百家の雑語を整斉す。之を名山に蔵し、副は京師に在りて、後世の聖人君子を俟つ。第七十とす。太史公曰く、余、黄帝より以来太初に至るまでを述歴して、百三十篇に訖る。

読み:
およそひゃくさんじっぺん、ごじゅうにまんろくせんごひゃくじ、たいしこうしょとなす。じょりゃくしてもっていをひろいげいをおぎない、いっかのげんをなす。それりくけいのいでんをあわせ、ひゃくかのざつごをせいせいす。これをめいざんにぞうし、ふくはけいしにありて、こうせいのせいじんくんしをまつ。だいしちじゅうとす。たいしこういわく、よ、こうていよりいらいたいしょにいたるまでをじゅつれきして、ひゃくさんじっぺんにおわる。

通釈:
すべて百三十篇、五十二万六千五百字。「太史公書」と称することとする。(収集した資料を)順序立てて略述し、遺漏を拾って六経の欠を補い、独自の見識を具えた著述を完成させた。(とはいえ、もとより聖人の著作〈経芸〉に比すはずのものではなく)、ただ六経の異伝を折衷し、諸子百家のさまざまな学説を整理しただけのことであるが、この書の正本は帝王の書府に収めて亡失に備え、副本は京師に留めおいて、後世の聖人君子の高覧を俟ちたいと思う。そこで、第七十(「太史公自序」)を作った。太史公は言う、私は黄帝より以来武帝の太初年間に至るまでの歴史を撰述して、百三十篇をもって終わることとした。

出典:
新釈漢文大系 120 史記 十四(列伝 七)』217ページ

新釈漢文大系 120 史記 十四(列伝 七)

 

ポイント
司馬遷は、列伝の第一に「伯夷列伝」、第六十九に「貨殖列伝」を置き、更にその後に、自身の伝を「太史公自序」第七十として置いている。その中で、十二本紀・十表・八書・三十世家・七十列伝、全百三十篇一つずつについて、その著述理由を簡潔に記しているが、この「太史公自序」の著述理由だけは例外的に長い。掲載したのは、その最後の部分。自身の伝の著述理由を語ることは、「史記」撰述の理由を語ることにほかならないからであろう。

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