凡そ人の遇偶と及び累害に遇うとは、皆命に由るなり。…
本文(書き下し文):
凡そ人の遇偶と及び累害に遇うとは、皆命に由るなり。死生寿夭の命あり。亦貴賤貧富の命あり。王公より庶人に逮ぶまで、聖賢より下愚に及ぶまで、凡そ首目有るの類、含血の属は、命有らざる莫し。
読み:
およそひとのぐうぐうとおよびるいがいにあうとは、みなめいによるなり。しせいじゅようのめいあり。またきせんひんぷのめいあり。おうこうよりしょじんにおよぶまで、せいけんよりかぐにおよぶまで、およそしゅもくあるのるい、がんけつのぞくは、めいあらざるなし。
通釈:
一般に人がめぐり会いと、累害にかかるのとは、どちらも天命によるものである。天命には人間の死生・寿夭の命と、貴賤・貧富の命とがある。上は王公から下は平民まで、また、聖人・賢者から愚かなものまで、すべて頭目をそなえ血の通っているたぐいは、天命に支配されないものはない。
出典:
『新釈漢文大系 68 論衡 上』52ページ
そもそも人間は天命に支配された存在であり、貴賤貧富はすでに決まっていて、才能や努力ではではどうにもならないとする、作者・王充の独特の運命感が述べられている。