文帝、嘗て東阿王をして七歩の中に詩を作らしめ、成らざれば大法を行わんとす。…
本文(書き下し文):
文帝、嘗て東阿王をして七歩の中に詩を作らしめ、成らざれば大法を行わんとす。声に応じて便ち詩を為りて曰く、豆を煮て持って羮と作し、豉を漉して以て汁と為す。萁は釜下に在って燃え、豆は釜中に在って泣く。本と同根より生じたるに、相煎ること何ぞ太だ急なる、と。帝深く慚ずる色有り。
読み:
ぶんてい、かつてとうあおうをしてしちほのうちにしをつくらしめ、ならざればだいほうをおこなわんとす。こえにおうじてすなわちしをつくりていわく、まめをにてもってあつものとなし、しをこしてもってしるとなす。まめがらはふかにあってもえ、まめはふちゅうにあってなく。もとどうこんよりしょうじたるに、あいいることなんぞはなはだきゅうなる、と。ていふかくはずるいろあり。
通釈:
魏の文帝(曹丕)はある時、東阿王(曹植)に七歩歩く間に詩を作れと命じ、もし出来なかったら極刑に処するといった。東阿王はそういわれてすぐに詩をつくった。「豆を煮て羮(あつもの)とし、豉(みそ)を濾して汁とする。萁(まめがら)は釜の下で燃え、豆は釜の中で泣いている。本は同じ根から生まれたものを、どうしてそんなに煎りつける」と。文帝は深くはじる様子があった。
出典:
『新釈漢文大系 76 世説新語 上』307ページ
曹植は詩人としても著名。この詩は「七歩の詩」として知られる。父、曹操が兄の曹丕よりも曹植を寵愛したために、兄弟の間には複雑な感情が交錯した。この逸話は、曹植の優れた詩才を証明するとともに、骨肉相争うことのすさまじさを示している。