余少くして音声を好み、長じて之を翫う。…
本文(書き下し文):
余少くして音声を好み、長じて之を翫う。以為えらく、物に盛衰有るも此は変ずること無く、滋味に猒くこと有るも此は勌まず。以て神気を導養し、情志を宣和し、窮独に処りて悶えざる可き者は、音声より近きは莫しと。
読み:
よわかくしておんせいをこのみ、ちょうじてこれをならう。おもえらく、ものにせいすいあるもこれはへんずることなく、じみにあくことあるもこれはうまず。もってしんきをどうようし、じょうしをせんわし、きゅうどくにおりてもだえざるべきものは、音声より近きはなしと。
通釈:
私嵆康は、若い頃から音楽が好きだったが、成長してからもいつも馴れ親しんできた。私はこう考える。物には盛衰があるが、音楽は衰えることなく、美味には飽きることがあるが、音楽には飽きが来ない。人の気や心を導き養い、感情を導いて調和させ、困窮や孤独に居ても悩まずにすむようにする手段としては、音楽が一番である。
出典:
『新釈漢文大系 81 文選(賦篇 下)』304ページ
嵆康の「琴賦」の冒頭部分。嵆康(223~262)は、三国魏の文人、竹林の七賢の一人。管絃の腕に優れ、刑死に際しても、琴を演奏してから、死に臨んだという。