秦の始皇帝、会稽に游び、浙江を渡る。…
本文(書き下し文):
秦の始皇帝、会稽に游び、浙江を渡る。梁、籍と俱に観る。籍曰く、彼は取つて代る可きなり、と。
高祖、常て咸陽に繇す。縦観して、秦の皇帝を観、喟然として太息して曰く、嗟乎、大丈夫当に此の如くなるべきなり、と。
読み:
しんのしこうてい、かいけいにあそび、せっこうをわたる。りょう、せきとともにみる。せきいわく、かれはとってかわるべきなり、と。
こうそ、かつてかんようにようす。じゅうかんして、しんのこうていをみ、きぜんとしてたいそくしていわく、ああ、だいじょうふまさにかくのごとくなるべきなり、と。
通釈:
秦の始皇帝が、会稽山に遊び、それから浙江を渡った。その行列を梁は籍と一緒に見物した。籍がいった、「あいつ! 奪い取って代わってやるぞ」と。
高祖はある時、夫役で咸陽へ行ったことがあるが、たまたま秦の始皇帝の行列を自由に拝観する機会があって、始皇帝を観て、喟然として深い嘆息をしていった、「ああ、男子たるものは、まさにこのようにならなくてはいかん」と。
出典:
『新釈漢文大系 39 史記 二(本紀 下)』423・505ページ
籍は項羽の名。梁は叔父。高祖は劉邦。項羽と劉邦を対比する際によく引かれる場面。始皇帝の行幸を見ての二人の発言に、その立場や性格が表現されている。