聖人の道は、礼を得て信ぜられ、易を得て尊ばる。…
本文(書き下し文):
聖人の道は、礼を得て信ぜられ、易を得て尊ばる。之を信じて廃す可からず、之を尊んで敢て廃せず。故に聖人の道の廃せられざる所以の者は、礼之が明と為り、易之が幽と為ればなり。
読み:
せいじんのみちは、れいをえてしんぜられ、えきをえてとうとばる。これをしんじてはいすべからず、これをとうとんであえてはいせず。ゆえにせいじんのみちのはいせられざるゆえんのものは、れいこれがめいとなり、えきこれがゆうとなればなり。
通釈:
聖人の作った道は、礼が備わることによって信実のものとされ、易が出来たことによって尊厳なものとなった。その道を信実のみちだとするから廃棄できないし、その道を尊厳な道だとするから廃棄する勇気は起こらない。従って、聖人の道が廃棄されないでいるのは、礼が道の目に見える部分となっており、易が道の目に見えない部分となっているからである。
出典:
『新釈漢文大系 73 唐宋八代家文読本 四』79ページ
蘇洵の「易論」の冒頭部分。蘇洵は、儒家の重んずる六つの経書(易・書・詩・礼・楽・春秋)について、独自の論を展開している。「易論」では、社会秩序を維持するために必要な「礼」が、人々に軽視されないように、威厳を保てるように聖人の考えた理論が「易」だという論を展開している。