古の所謂豪傑の士は、必ず人に過ぐるの節有り。…
本文(書き下し文):
古の所謂豪傑の士は、必ず人に過ぐるの節有り。人情の忍ぶ能わざる所の者あり。匹夫辱めらるれば剣を抜きて起ち、身を挺して戦う。此れ勇と為すに足らざるなり。天下に大勇なる者あり。卒然として之に臨めども驚かず。故無く之に加えて怒らず、此れ其の挟持する所の者甚だ大にして、其の志甚だ遠ければなり。
読み:
いにしえのいわゆるごうけつのしは、かならずひとにすぐるのせつあり。にんじょうのしのぶあたわざるところのものあり。ひっぷはずかしめらるればけんをぬきてたち、みをていしてたたかう。これゆうとなすにたらざるなり。てんかにたいゆうなるものあり。そつぜんとしてこれにのぞめどもおどろかず。ゆえなくこれにくわえておこらず、これそのきょうじするところのものはなはだだいにして、そのこころざしはなはだとおければなり。
通釈:
古の所謂「豪傑」とは、きっと普通の人を越えた節操を備えていたのだ。人の情から言って辛抱できぬものがあるとすると、普通の人なら、辱めを受けたらきっと剣を抜いて起ち上がり身を挺して闘う。しかしこれを「勇」とみなすことはできない。天下には「大勇」と称される人がいるが、その人たちは、突然危険に遇っても慌てず、故なく辱めを受けても怒らない。これは彼の抱いている抱負が大きく、志がずっと高遠なところを向いているためである。
出典:
『新釈漢文大系 74 唐宋八代家文読本 五』415ページ
蘇軾の「留侯論」の冒頭部分。留侯は、漢朝創業の功臣である張良、字は子房。韓の宰相の家の出身。韓の滅亡後、刺客を雇い、始皇帝を暗殺しようとしたが、失敗。潜伏中、橋上で会った老人に試された末、太公望呂尚の兵法書を与えられ、それを学び、暗誦したと「史記」留侯世家にある。