漢の西都は、雍州に在り。寔を長安と曰う。左は函谷二崤の阻に據り、表するに太華・終南の山を以てす。…
本文(書き下し文):
漢の西都は、雍州に在り。寔を長安と曰う。左は函谷二崤の阻に據り、表するに太華・終南の山を以てす。右は褒斜・隴首の険に界し、帯らすに洪河・涇・渭の川を以てす。衆流の隈、汧其の西に湧く。華実の毛は則ち九州の上腴にして、防禦の阻は則ち天地の隩区なり。是の故に六合に横被し、三たび帝畿と成る。
読み:
かんのせいとは、ようしゅうにあり。これをちょうあんという。ひがしはかんこくにこうのそにより、ひょうするにたいか・しゅうなんのやまをもってす。にしはほうや・ろうしゅのけんにさかいし、めぐらすにこうが・けい・いのかわをもってす。しゅうりゅうのくま、けんそのにしにわく。かじつのもうはすなわちきゅうしゅうのしょうゆにして、ぼうぎょのそはすなわちてんちのおうくなり。このゆえにりくごうにおうひし、みたびていきとなる。
通釈:
漢の西都は雍州にあり、これを長安と名づける。東のかたは、函谷と二崤の要害に護られ、太華・終南の山々は都の目標となる。西のかたは、褒斜・隴首の険が自然の境界となり、黄河・涇水・渭水の川が都を帯のようにとりまく。かずかずの流れは湾曲し、その西に汧水の川が、大地より吹き出して流れる。草木五穀の花実を結ぶこの地こそは、天下の中でも恵まれた沃土である。外敵をふせぐ要害にかこまれた地こそは、天地の中でも住むに足るの土地である。されば、長安の大地の恩恵は、天地四方にあまねく行きわたり、三たび帝都の地となった。
出典:
『新釈漢文大系 79 文選(賦篇 上)』25ページ
『漢書』を著した班固の手になる「西都賦」の冒頭付近の一節。長安が選ばれた土地であることを述べる。長安の地は、周・秦・漢の都が置かれた。西都に対する東都・洛陽については、同じ班固に「東都賦」があり、「西都賦」「東都賦」を総括する序文「両都賦序」がある。