范蠡、越王句践に事え、既に身を苦しめ力を戮せ、句践と深く謀り、…
本文(書き下し文):
范蠡、越王句践に事え、既に身を苦しめ力を戮せ、句践と深く謀り、二十余年にして、竟に呉を滅ぼし、会稽の恥を報い、北して兵を淮に渡し、以て斉・晋に臨み、中国に号令し、以て周室を尊ぶ。句践以て覇たり。而して范蠡は上将軍と称し、還りて国に反る。
読み:
はんれい、えつおうこうせんにつかえ、すでにみをくるしめちからをあわせ、こうせんとふかくはかり、にじゅうよねんにして、ついにごをほろぼし、かいけいのはじをむくい、きたしてへいをわいにわたし、もってせい・しんにのぞみ、ちゅうごくにごうれいし、もってしゅうしつをたっとぶ。こうせんもってはたり。しこうしてはんれいはじょうしょうぐんとしょうし、かえりてくににかえる。
通釈:
范蠡は越王句践に仕え、ずっと身体を労し力を合わせ、句践と深く謀ること二十余年、ついに呉を滅ぼし、会稽の恥をそそいで報い、北上して兵を率いて淮水を渡り、斉・晋に君臨して中国に号令し、周室を尊崇した。句践は覇者となり、范蠡は上将軍と称して帰国した。
出典:
『新釈漢文大系 86 史記 六 (世家 中)』516ページ
「越世家」より。越王句践は「嘗胆」の末、范蠡とともに呉を破り、会稽の恥をそそぎ、覇者となった。范蠡は、その後、越を去って斉国で大富豪となり、宰相に迎えられたが、すべてを棄てて、山東の陶に行き、再び大富豪となり、陶朱公と呼ばれたと言う。范蠡(陶朱公)の伝は、「史記」貨殖列伝にも記されている。