雑説
本文(書き下し文):
世に伯楽有って、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、而も伯楽は常には有らず。故に名馬有りと雖も、祇奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死して、千里を以て称せられざるなり。
読み:
よにはくらくあって、しかるのちにせんりのうまあり。せんりのうまはつねにあれども、しかもはくらくはつねにはあらず。ゆえにめいばありいえども、ただどれいじんの手にはずかしめられ、そうれきのあいだにへんしして、せんりをもってしょうせられざるなり。
通釈:
世に馬をよく知る古の伯楽のような人があって、はじめて一日千里を走る馬が存在するのである。千里の馬は常にいるけれども、しかも伯楽はいつもいるわけではない。それ故名のあるべきよい馬はあっても、ただ使役の人の手に、つまらぬ馬とはずかしめられて、餌槽や馬屋の踏み板の間に、ほかの馬と首をならべて死んで、千里の馬とたたえられないのである。
出典:
『新釈漢文大系 70 唐宋八代家文読本 一』95ページ
韓愈の「雑説」の冒頭。名馬と伯楽の喩えをもって、優れた人材を見抜いて登用することのできない為政者こそ、無知・無能の最たるものにほかならないのだと主張している。